おもしろがっていきていく

目に見えない世界を日常生活に取り入れてリアルな人生を生きていく

記憶3 小学校低学年 と理想の結末

母の誕生日に母に喜んでほしいと、何をしようか考える。


おばあちゃんに相談すると、晩御飯作ったら喜ぶんじゃないか。とのこと。
作ったことないが、肉じゃががいいのではないかとおばあちゃんに言われてそうすることにする。

仕事から帰ってきた母はあからさまに機嫌が悪い。何でこんなことしたのという態度。
おばあちゃんにもきつくあたる。わたしはせっかく一生懸命作ったのにと悲しい気持ちになる。

ご飯の時間、肉じゃがを食べているとき、「お母さんのためにはじめて作ったよ。結構大変やね料理って。時間もかかるんやね。作ってみてはじめてわかったよ。おばあちゃんに何したらいいか相談したら

「毎日、仕事してごはん作るのお母さん大変やから、お手伝いしてあげたら?」

と言ってくれてん。確かに大変なことようわかったわ。これからはもう少し手伝うね。
お母さん、いつもありがとうね~!ね、おばあちゃん!なかなか苦労したよね~」
と明るく笑いかける。

 

すると、暗い食卓が明るい空気になって、お母さんは

「ほんまに毎日ご飯考えるのも大変なんやで。買い物して作って片づけて。。。それで文句言われたらたまらんよ」

 

と、言い、「ジャガイモちょっとかたい」と少し笑いながら
みんなでご飯をたべる。

 

「それと、この台所ぐちゃぐちゃやから片付けしてよ」

 

と言われ、食後にみんなで片付けして楽しい夜になった。

 

 

記憶2 5〜7歳と理想の結末

団地で夜眠れなくて怖い、

 

わたしはおとうさんとお母さんがしんでしまって1人になるのではないか。自分が、結婚してこの家をでていかないといけないと考えると寂しくて悲しい、それを考えると怖くて眠れなくなる。

母を眠れないと起こしに行き一緒に寝てもらう。

でもそんなことをかんがえていると、壁中に黒い悪魔が覆いつくす。

うたた寝をしてる母を起こし泣きながら訴える。

母はラジオをつけてくれた。薬師丸ひろこのセーラー服と機関銃が流れていてますます悲しい気持ちになる。
 

母は電気をつけて眠れるからと温かいココアをいれてくれた。体が温まりほぐれてく。夜中に母と二人起きていることにわくわくした気持ちになる。私の話を楽しそうにふんふんと聞いて

 

「結婚したくなかったらしなくてもいいんよ。結婚しても嫌なら家を出ていかなくてもいいんよ。お母さんはまだまだ生きるから勝手に殺さんとってや」

 

と笑う、つられてわたしも笑いながら

「殺さへん!」という

 

「○○ちゃんが殺さなかったら大丈夫やわ。お母さん元気でいれるわ。さっき悪魔が出たゆうてたけど、いびきかいてねてたで〜怖い夢みてたんや。じゃあおまじないしたげよう。(枕を叩いて…)

い・い・ゆ・め・み・ま・す・よ・う・に〜♪

これで怖い夢見なくなるから大丈夫」

すっかり安心して眠れる。結婚しなくてもいいししてもいい、自由なんだ〜!とすっきりした。
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記憶1 3〜5歳 と理想の結末

おばあちゃんのうちの2階の暗い部屋で、母が泣きながら
わたしに「なんでやの?」と聞いている。

わたしは万引きがばれて、母をこんなに泣かせてしまいとても
動揺している。私も泣きながら何も言えずにいた。

「わたしは家の暗い雰囲がいつもピリピリしていること。
おばあちゃんと仲が悪いことがいやだった。お母さんが、おばあちゃんをいじめていると思っていた。
お母さんが意地悪な怒ってばかりの怖い人だと思っていた。だからおばあちゃんの家に行くのが楽しみだった。でも、退屈で、自分をもっとかまってほしくてほめてほしくて笑ってほしくて、こっちを見てもらうためにやってしまった。
わたしは楽しく暮らしたい。みんな仲良くくらしたい。
お母さんに笑っていてほしい。万引きなんてしたいわけじゃない。
わたしはこれから、いろいろなことを頑張ってお母さんを喜ばすから
お母さんも楽しく笑ってほしい。もう絶対しないから安心して」

 

 

占いによるお金効果 その2

これは、ごく最近の出来事。

 

2023年、年明け。

ゲッターズ飯田の五星三心占いの「銀の時計座」を買う。

金運上げるなら今年だという。 

 

よし、今までいろいろ学んだことを実践してみよう!

 

まず、財布を新調する。

ゲッターズによるとわたしはオレンジがいいらしい。

そして牛革がいいとのこと。

自分で選んで、縁起のいい日を検索し、3月の一粒万倍日に購入し、一粒万倍日にお届け。

使い始めは財布を9~14日ぐらい家の中心から北の方位のタンスに寝かしておく。

その際財布にお金がいっぱい入っていることを認識させるのが大事とのこと。

100万円の札束がリアルサイズのレプリカでメモ帳になっている商品があり、

それを購入。

メモ帳を2枚抜き、一枚目と最後に本物の1万円札を新札で挟んで財布に入れて

寝かす。

またまた一粒万倍日に使いはじめた。(財布は夕方5時~23時ぐらいまでに使い始めるのがいいらしい。)

 

現在の仕事は一般事務の契約社員

月~金の9時~17時、時給1080円。勤続5年。

昇給もボーナスもない。見込みもなし。

月手取り、12,3万といったところ。

 

5年前に難病が発覚。投薬治療で何とか仕事は続けているという状態。

いつ働けなくなるかわからない。

 

前職の会社で友達になった、現在、社労士の友人が

2,3年ほど前から「障害年金の申請」を勧めてくれていた。

しかし、わたしは現在フルで働いているし、障害と名の付くものを

自分がなかなか受け入れがたく、聞き流していた。

しかし、病状はすこしづつ悪化してきているし、これを機に自分でも調べてみようと

勉強をはじめる。障害年金と身体障害手帳は別物であること、

働いていても、障害年金を頂けることはあるということ、

障害年金を受け取っていることは会社にばれることはないということ。

申請するにはいくつかの条件があり、そして自分で申請するのはなかなかハードルが高いということ。

 

大学を卒業してから、ずっと真面目に働いてきたので、申請の条件はクリアー

していた。障害年金に強い腕のいい社労士さんを見つけることが大事だという。

色々調べて、障害年金に強い先生を紹介してくれるサイトにいきついて

連絡をいれ、家の近くの先生を紹介してもらう。

 

 

財布を購入してから、久々に金運に特化した形で家に風水を取り入れてみた。

①観葉植物…玄関にパキラ、トイレにガジュマル、リビングにパキラ、キッチンにサン       スペリア、器は白の陶器に入れ替え

②玄関に水晶、寝室にアメジスト

③断捨離掃除 カレン・キングストン著 「ガラクタ捨てればじぶんが見える」

 を参考にうちでいうと窓際を中心に片づける。

 破れていたレースカーテンを変えて、剝がれていた壁紙を張りかえる。

 いらないものはとにかく処分。

④玄関に香りを置く

⑤巳の日に弁財天様のまつられている神社に参拝にいく。などなど。。。

 そして、5月に紹介してもらった社労士さんとあうころ、友人から連絡が。

 紹介したい社労士さんがいるとのこと。

 過去に障害年金の審査をしていた側の方で、初老の男性の先生だった。

 友人が尊敬して仲良くしている先生とのこと。

 ゴールデンウィークに会うことになり、手数料もとても安く引き受けてくれ、

 サクサクと申請の準備を進めてくれた。

 

 6月末に申請書を年金事務所に提出。結果が出るのは

 

 三か月はかかるとのことだったが、9月の半ばに結果が届く。

 

 働いているし、障害年金3級が出ればいいねと言っていたのですが

 

 結果は2級。夫と子供が一人いるので加算もあり。

 

 事務で働いている年収より多い金額をこれから5年間支払ってもらえる。

 

 しかも、過去さかのぼり2023年8月までの4年分もまとめて支払われた。

 

 これには担当の先生も友人も、奇跡だとほんとうに驚いていた。

 

 これが、風水や目に見えない力?によるものなのかはわからない。

 

 しかし、私自身気の重い書類作成楽しんでできたこと。

 

 どういう結果になるのかと、 面白がって行動できたのは確かだった。

 

初めての彼氏が教えてくれたこと

幼稚園の頃から、好きな男の子はいた。

思えば、恋愛対象のいない時期なんてほとんどなかった気がする。

 

中学3年の時に同じクラスだったU君。

目が綺麗で大きいが少し冷たい印象。

かなりの男前だが、性格はクールでミステリアス、何考えているかわからないような

タイプ。

陽キャではないし、女子ともほぼ話さないけれど、男友達とはワイワイやっている。

わたしも1年間、ほぼ話すことはなかったけれど、何度か目が合うようになり

好きになったので、バレンタインにチョコを渡した。

驚きつつも喜んで受け取ってはくれたが、何事もなくそのまま卒業した。

 

高校に入り、クラスも離れ離れになったが、入学して1,2か月がたったころ

放課後に呼び出されてつきあうことになった。

 

初めての彼氏。

ワクワクドキドキの毎日だった。

部活の後に一緒に帰ったり、夜公園で缶コーヒーを買って話したり、

星を見に行ったり。。。

はじめは話すことも、メモして一緒に帰ったりしていたな~

初めて一緒に行った映画は確か「ゴースト~ニューヨークの幻

好きな曲をテープに入れてプレゼントしてもらったり。

 

彼は今思うと、とても繊細で、わがままで、やきもちやきな男の子でした。

別れたり、くっついたりしながら2年ほどつきあったが、

向こうに好きな人ができて破局。振られた。

 

別れてからすぐの高校3年生の夏休み。受験勉強もしなければならないけれど、

わたしは傷心でとてもつらい毎日を送っていた。

未練たらたらで、苦しかった。

何をしていても想い出す。

自分はまだこんなに好きなのに、相手はもう他の人が好きなんて。

その事実を消化できずにいた。

初めての彼で、2年も付き合い、初めての別れ。まあ仕方ない。

 

7月後半、その日は友達と受験生のための夏休みの講習にいく予定で

朝、準備をしていたら電話がなった。

 

H君の妹からだった。泣いていた。

 

「昨日のお祭りの夜に、お兄ちゃんが原付バイクで事故して病院で意識がない状態。」

 

それからどうにか病院へ駆けつけた。家族や友達がたくさん来ていた。

意識はなかったが病室に入れてもらえた。

顔が腫れていて違う人みたいだった。

意識はなく、包帯もたくさん巻かれてベッドに寝ていた。

 

妹ちゃんから話を聞いた。

Uくんは私と別れてすぐ、新しく好きになった人とつきあい始めて

お祭りの日、その彼女にバイクで会いに行く途中で事故に遭ったらしい。

 

苦しかった。

この状況も、その事実も。

妹ちゃんは私に連絡をくれたが、新しい彼女は面識もなくて

連絡先も知らず、連絡していないとのこと

 

わたしが新しい彼女に連絡した。

病院の公衆電話から。

今思えばどうゆう心理だったのだろう。

でも、連絡しなくてはと思ったのだ。自分が。

 

病院に駆け付けた彼女は、病室に入っていった。

叫ぶような鳴き声が病室の外に響いていた。

なんだか現実ではないみたいだ。

そして、その日にU君は亡くなった。

 

Uくんと別れてから、自分を保つ唯一のモチベーションは

 

「絶対後悔させてやる」だった。

そう思うことで、なんとか今を踏ん張っていた。

なんだったら、もう今すでに後悔してるかも・・・なんて

都合の良い想像をしていた。

そう考えると、少し心が救われたからだ。

 

しかし現実は、わたしが苦しんでいる間、

彼はすでに新しい恋が始まっていて、

大好きな彼女に会いに行くためにバイクに乗り、

あっけなく死んでしまった。

 

絶望だった。

今までも苦しかったのに、わたしはこの先、この現実を抱えて

どうやって立ち直ればいいのだろう。

もう後悔させることもできない。

この苦しみが癒されて、普通の自分に戻れるには

どれだけの時間がかかるのだろう。

 

その道のりを想像するだけで、絶望だった。

 

それから、どうなったかというと・・・・

もちろん悲しみや苦しみはあったが、

家族や友人や、その当時ならっていたエレクトーンの先生や

U君の家族やバイト先や部活の仲間や先輩たちとの

時の経過と共に絶望は薄れていき、気が付けば日常を

取り戻していた。

 

あの日、どう想像してもとても想像がつかなかった

普通の日常にいつの間にか戻っていた。時間と共に。

ある意味それは、悲しいことかもしれない。

忘れていくことへの罪悪感もあった。

 

この時の私が学んだことは、

 

どんなに先が見えなくても、その時絶望だと思っても、

未来は自分の想像を超えてくる。

自分の想像できるものなんて、本当にちっぽけなものだ。

 

だから、今この瞬間、絶望の淵にいて、

この先どうしようもないと思っていたとしても、

とても前向きになんてなれなかったとしても、それでもいいから

日々を生きてみること。

 

そしてもう一つ。

人は死ぬ。

自分も、自分の大事な人も、ある日突然、死ぬかも知れないということ。

17歳という年齢で経験したからこそ

わたしの脳裏にしっかりと刻まれた事実。

 

だからやっぱり今が大事!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熱血バスケ部の日々

中学生になると、ミニバスをやっていたメンバーと共にバスケ部に入る。

かなり厳しい部活だった。いろんな面で🤥

 

まず、コーチはパンチパーマでいかついおじさん。授業が面白くて親には人気の社会の先生。

練習見ながら煙草を吸いまくり、車は窓に全スモークを張ったハイエースに乗っている。

とにかく怖くて、怒って灰皿が飛んできたり、パイプ椅子を蹴ったり、「殺すぞ!」と怒鳴られたりする。

 

練習試合に行くときはレギュラーメンバーだけ、そのハイエースに乗ってそこで着替えて、試合前にはバナナや栄養ドリンクやらを摂取させられる。

 

練習もハードで、体力をつけるためと真夏でも長袖長ズボンのジャージを着て

マスクをして練習をする。お茶を飲む時間も極限まで我慢。

 

夏休みは特に地獄で、縄跳びや、坂道ダッシュ、校庭大回り10周などのハードメニューのほか「死ぬほど2対2」と呼ばれる、点数入れるまで交代できない恐ろしいものがあった。

 

冬は冬で、外での朝練で手の指にひどいしもやけができ、血のにじむ包帯を巻いて

練習していた。膿や血でくっついた包帯をはがすことの痛さったらない( ;∀;)

せめてのも抵抗?で、包帯をかわいいピンクなどにしていた笑

 

ラソン大会では絶対に陸上部に負けてはならないと、バスケ部対陸上部によるバトルが繰り広げられる。駅伝にもなぜか出場しなければならない。

 

後、忘れてはならないのが厳しい上下関係と謎の部内ルールだ。

 

①どんなに離れていても先輩には気づいてもらえるまで挨拶をする

②階段の上から挨拶してはいけない。降りてから挨拶

③ボールを先輩に渡すときは一礼してからしか渡してはならない。

④欠席するときは紙に欠席届と書いて理由を記入し、それを三つ折りにして提出する。

⑤先輩の試合の時には、お茶とレモンのはちみつ漬けなどを作って

 先輩のために持っていく。

 

先輩の中には、挨拶しても挨拶しても無視する人がいた。

意地悪なやつも、優しい先輩も、あこがれるカリスマ的な先輩も。

その部だけの独特のルールが狭い世界ではびこっていて、いろいろなドラマがあった。

先輩に無視された~挨拶したらにらまれた~とワーワー騒いでたな。。。。。。。

 

はじめは20人以上いた部員も、3年の引退時には9人に減っていた。

 

よく頑張った3年間だった。

 

 

。。。。今となってはありえないが、この時代はこんなもんだ。。。。

ちなみに実力は県大会ベスト4ってところです。

 

 

 

 

占いによるお金効果 実践編 その1

目に見えない世界に興味があり、占い師さんに相談したり、自分で色々なことを実践してきた中でも、お金について「効果あったんじゃないの?」と感じた体験が3つある。

 

わたしは大学卒業し、新卒で大阪のとある営業会社に就職した。なかなか勢いのある会社で、歩合制で売れたらかなり稼げて、年齢関係なく昇格も降格もある。年に数回コンテストがあり、賞金や海外旅行などにも行ける。割と営業には向いていたようで、1年目には結構稼げるようになっていた。

 

しかし、9,10年経った頃から会社の状況は傾き始め、ついに給料がストップした。

わたしは、そこで退職を決意した。

 

退職後は、未納分の給料も退職金についても音沙汰がないので、内容証明を送り簡易裁判をおこして戦うことにした。→(これも占い師さんのアドバイス

しかし、これがなかなかのストレスだった。結局、給料は分割で支払うということで和解した。それからしばらく経って会社が倒産する。弁護士が入り、今後のことを整理していく旨の案内が届いた。

 

これは退職金は厳しいかもしれないな~思ったが、新卒から約10年正社員で働いたわけで、そのころもらっていた収入からすると、あきらめるには大きすぎる。

わたしは当時興味をもっていた、吉方位に旅行をして運気を上げる「祐気取り」をやってみることにした。

 

自分にとっての吉方位とその時期を割り出し、一泊二日で300キロ以上離れた場所に、月運、日運どちらもいい日にいく。おすすめの場所である温泉、神社仏閣、パワースポットがある場所にした。もちろん一人で。

 

すると・・・一泊して帰る前、お昼ご飯を食べていると電話がなった。

倒産の手続きを担当している弁護士さんから。

勤務年数の確認だったが、なぜが実際の年数より5,6年短かいのだ。

わたしは、本当の勤務年数を答え、それまでの給与未払いの対応の悪さや、

ほかの人たちも困っていますという旨を伝え電話を切り帰路についた。

 

それからしばらくして、再び弁護士さんから電話が来た。

未払いの給料分と退職金で

約600万支払われるとのこと!!

まあ、偶然かもしれないけど。。。うれしかった( ;∀;)

 

その2に続く